Facebookには当日載せていたのですが、ブログにも。3.11に書いた文章です。
3.11
Pray for………
復興地としてリスタートを切った地もあれば、未だ何も変わらないそのままの状態の地もある。
一緒にいるはずの家族が傍にいない。ずっと待っている大切な人の姿。繋がらないケータイ電話。
2年経っても諦められない思い。
一変して負った生活の不自由さ、どこにぶつけようもない憤り…。
あの一瞬で、多くのものを失い、答えの見つからないものを背負ってしまった方たちのことを思います。
2年経ちどんな復興が進められたのか。
2年間で私たちは何が出来たのか。そして、何をしてきたのか…。
多くのものを失ったあとの、目指すゴールは、何をもってゴールと言って良いのか分からないほど未知数だと思う。
けれど、抱えこんでしまった皆さまに、笑顔と希望と平和が私たち以上に与えられますように、という祈りはこれからも沢山届けたいし、もっと届いても良いと思う。
今日は、世界中が日本の為にお祈りしてくれてた。起きた出来事を思い出すと辛く悲しいことだけど、世界中が祈りを合わせていた、と思うと温かい気持ちになる。
祈りを合わせられる限り、祈り続けたい。
※写真は、1年が経とうとしている時に、岩手宮古での復興を願ってコンサートの際、寄らせて頂いた田老町の10m堤防。この堤防を津波が越えることは決してない!と言われていた…。
3.11
Pray for………
復興地としてリスタートを切った地もあれば、未だ何も変わらないそのままの状態の地もある。
一緒にいるはずの家族が傍にいない。ずっと待っている大切な人の姿。繋がらないケータイ電話。
2年経っても諦められない思い。
一変して負った生活の不自由さ、どこにぶつけようもない憤り…。
あの一瞬で、多くのものを失い、答えの見つからないものを背負ってしまった方たちのことを思います。
2年経ちどんな復興が進められたのか。
2年間で私たちは何が出来たのか。そして、何をしてきたのか…。
多くのものを失ったあとの、目指すゴールは、何をもってゴールと言って良いのか分からないほど未知数だと思う。
けれど、抱えこんでしまった皆さまに、笑顔と希望と平和が私たち以上に与えられますように、という祈りはこれからも沢山届けたいし、もっと届いても良いと思う。
今日は、世界中が日本の為にお祈りしてくれてた。起きた出来事を思い出すと辛く悲しいことだけど、世界中が祈りを合わせていた、と思うと温かい気持ちになる。
祈りを合わせられる限り、祈り続けたい。
※写真は、1年が経とうとしている時に、岩手宮古での復興を願ってコンサートの際、寄らせて頂いた田老町の10m堤防。この堤防を津波が越えることは決してない!と言われていた…。
PR
COMMENT